相馬市〜仙台若林区
22日早朝、3時半に家を出て、東北へ。
今回は国連女性開発基金ユニフェムさくらの活動に同行させて頂きました。
ユニフェムの会長は自ら5回にわたり既に物資を運んでいます。
そしてこの度6回目の訪問に、カズンでお供させて頂きました。
物資の支援から、より具体的な今後の支援体制を提案するため、
福島は相馬市長と会談。市長と会長の会談に同席させて頂きました。
そう、支援は物資を運んだり、建物を復旧したりという目に見える事だけではなく、
見えないところで、どう支えて行けるのかという事に手を打っていく事の重要性に
気づかされ、目から鱗の思いでした。
例えば親を亡くした子供たちをどう、具体的に今後サポートをして行けるのか。
様々な提案、そして実現法等、対話が続きました。
人に会いに行く、話をしに行く、そういった事が、次への大きな支援に
つながって行くのですね。
見えない支援、そして心の支援。今後音楽も大きな役割を担うのだと思います。
上の写真は仙台の若林区、荒浜の写真です。あの時以外はいつもの海です。
街へと津波が押し寄せた現地を実際に見てみると、
それまでニュースで見ていた映像以上でも、以下でもないというか、
見ていたものがデフォルメされ、強調されている訳でもなく、
悲しいほどに、引き裂かれる程に現実でした。相馬から仙台方面にかけて、
全てのエリアの現実です。そして三陸エリア、青森、そして茨城。千葉も。
僕はこの光景を、一生忘れてはいけないんだと、心に焼き付けました。
相馬の避難所と、仙台の避難所で少し歌わせて頂きました。
正直、まだ音楽を楽しめる時期ではないのかも知れません。
でもまだ、始まったばかりなんだと思います。
でも、それは希望への道なんだと思います。
僕はもっと元気に強くならなきゃと思いました。
こちらは相馬市役所に張られていたもの。
僕の生まれ故郷、千葉県松戸市の寄せ書きが。
松戸で福島の方達を受け入れた時のものでしょうか。
なんだか、ふるさとがつながっていて、心強くなりました。
by hiroshiurushido | 2011-04-25 20:38